第20回定期演奏会 特設サイト
§ 曲目解説 §
モーツァルト(1756-1791)は、オーストリアのザルツブルクで宮廷音楽家、音楽教育者でもあった父レオポルドの末子として生まれました。幼少の頃よりクラヴィーアや作曲を勉強し、父、姉ナンネルと共にヨーロッパ演奏の旅を続けました。
今回演奏するディヴェルティメントK.136は、1772年、2回目のイタリア旅行から帰った16歳のモーツアルトがザルツブルクで続けて作曲した3曲のディヴェルティメントの1曲目にあたります。ディヴェルティメントの語源はイタリア語のdivertire(楽しい、面白い、気晴らし)からきています。この曲はイタリアの影響、又ザルツブルクで師事したミヒャエルの多大な影響を受けて作曲された作品です。
§ 第1楽章アレグロ § 第2楽章アンダンテ § 第3楽章プレスト
北イタリアのボローニャに生まれたレスピーギ(1879-1936)は、ボローニャ音楽院でヴァイオリン、ヴィオラ、作曲を勉強し、弦楽器奏者として活動を開始しました。1900年にペテルブルク帝室歌劇場のヴィオラ奏者となってロシアに赴き、そこで管弦楽法の大家リムスキー=コルサコフに師事します。1913年にローマのサンタ・チェチリア音楽院の作曲家教授に就任、本格的な創作活動を開始したレスピーギは、その図書館で昔の作曲家の作品を調べるのを楽しみとしました。
「リュートのための古風な舞曲とアリア」は、古いリュートのための音楽から、近代的、あるいは新古典主義風に弦楽、又は管弦楽で演奏するようにアレンジしたものです。レスピーギはこの曲について『原曲のもつ気品と香気を失うことなく原曲の時代と性格に適した和声を配し、管弦楽の衣を着せた』と語っています。今回演奏するのは、3つある組曲のうちの第3組曲です。
§ 第1曲イタリアーナ § 第2曲宮廷のアリア § 第3曲シチリアーナ § 第4曲パッサカリア
テレマン(1681-1767)はドイツ東部のマクデブルクで伝道師の家庭に生まれました。父は彼が4歳になる前に亡くなり母に育てられましたが、彼女はテレマンが音楽家になる事には反対だったようです。テレマンは楽器を取り上げられ音楽活動を禁じられても作曲の勉強を続けました。40歳の時、ハンブルクに移り歌劇場の音楽監督、歌劇の作曲をするようになって、オペラ、コンサート、教会音楽の演奏や出版を次々と行い、86年の生涯で膨大な数の作品を作曲し、クラシック音楽の分野で最も多くの曲を作った作曲家としてギネス世界記録に認定されています。3600曲以上あるというテレマンの作品の中のヴィオラ協奏曲ト長調は、ハンブルク時代に作曲されたと推定されている世界初のヴィオラ協奏曲だそうです。
§ 第1楽章ラルゴ § 第2楽章アレグロ § 第3楽章アンダンテ § 第4楽章プレスト
ノルウェーは長い間デンマークに支配され、その後1814年からはスウェーデンの統治下に入り、独立を勝ち取ったのは1905年でした。独立に向けての機運が高まっていた19世紀のノルウェーに生きたグリーグ(1843~1907)は、ノルウェーの自然と民族音楽に深く共感し、心に残るメロディーと躍動的な民族舞踊の要素を合わせて独特の美しさを創り出すことに成功しています。
グリーグと同じノルウェーのベルゲン生まれの「デンマーク文学の父」と呼ばれるルズヴィ・ホルベアの生誕200年祭の為に作曲された「ホルベアの時代から」は、はじめはピアノ独奏のための組曲でグリーグによって初演されましたが、弦楽合奏のための編曲もグリーグ自身によるものであり、こちらの方が有名になりました。
§ 第1曲前奏曲 § 第2曲サラバンド § 第3曲ガヴォットとミュゼット § 第4曲アリア § 第5曲リゴードン
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千葉ジュニアストリングス
第20回定期演奏会事務局
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